連載「音楽と私」 その11「町おこしに思う」

南地区4班 綱島正寛 株式会社ツナシマ
 なにか世の中がおかしいと感じはじめた頃、リーマンショックが日本を襲い、経済がデフレスパイラルの悪循環に陥ったのが2008年でした。このままでは日本発の大恐慌すら考えねば……などと重苦しい雰囲気が身近に感じたものです。「これはいけない」と地元湯島の友人となんとか明るい雰囲気を取り戻したいと、町おこしを考えました。地元湯島と本郷の町おこし、名づけて『湯島・本郷町おこし YUHOの会』がスタートしたのが平成8年の秋でした。
 ひと口に「町おこし」と言っても、その考え方や進め方は千差万別。何を目的に誰に向かって何を、何時行うのか、これをまとめるまでが大変でした。資金、マンパワー、支援企業、アイデアなど何も無いスタートでした。喧々諤々意見を交わす中で、地元湯島・本郷を明るく、誰もが訪れたいと感ずるには「音楽」と「歴史」で町に元気を出させるのが良いという結論に達しました。湯島・本郷の歴史を学び、地元に縁が有る人による音楽演奏会をイベントとして開催しようということになりました。クラシック、JAZZ、二胡、創作ダンスなどを湯島聖堂の境内(大成殿)でイベントとしてライブ演奏する企画を立てました。無論、音楽イベントのみならず、町を散策し、町の歴史教室も開講しました。
 何と言っても音楽イベントは人気を集め、回を重ねるたびにファンは増え続けました。11月3日の文化の日、湯島聖堂の回廊にはさまざまな楽器の音色が響き渡りました。シビック大ホールで毎年定期コンサートを開催する「東京ジュニアオーケストラ ソサエティ」、古典音楽の第一人者坂田進先生の「二胡独奏」、創作ダンスと音楽の「YOU CAN」や地元の江戸囃子「湯島はやし連」、そしてJAZZ BIG BAND「Polestar」などがイベントを盛り上げたものです。
 企画から始まり、渉外、記録、広告、資金調達、会場設営、進行に至るまで僅か6、7名の限られた陣容で5年間続けてきました。続けられた要因はなにか? それは言うまでもない「音楽」の存在です。決してお金の為とも言えないこの「町おこし」を当初から5年は続けようとスタートして、本当は若い人にバトンタッチしたかった。残念なことに、今時の若者にこうした想いを継承しようといった意気込みが失せてしまった事を残念に思う。この町おこしがいつかまたの日に復活してくれる事を夢見ています。
 この町おこしを共に悩み、共に創り、共に歩んだ日管設備の富永秀実氏が本年3月13日に急逝されました。私にとっては痛恨の極みです。